大企業との取引は「どこまで広げるか」から逆算する——Gainsight弘中氏が語る、Land and ExpandとABM組織づくりの実践

大企業との取引は「どこまで広げるか」から逆算する——Gainsight弘中氏が語る、Land and ExpandとABM組織づくりの実践

大企業との取引で最初から数千万円、数億円規模の契約を狙うと、受注までに長い時間がかかります。一方で、入りやすさだけを優先して小さく契約すると、その後取引が広がらないケースも少なくありません。

このジレンマに対する考え方の一つが「Land and Expand」です。まず一部の部門や拠点で取引を始め(Land)、そこで出た成果をもとに別部門・別拠点・別サービスへ広げていく(Expand)戦略を指します。ここで重要なのは、ただ小さく始めることではありません。「最終的にどこまで取引を広げたいのか」から逆算して、最初の契約を設計することです。

では、最初にどこから入ればよいのか。新規営業、カスタマーサクセス、アカウントマネージャーはどう役割を分け、誰が顧客全体に責任を持つのか。経営層とはどう関係を築くのか。そして、部門同士の利害がぶつかったとき、経営はどう判断すべきなのでしょうか。

株式会社Marooが開催したイベント「経営・営業責任者のためのABM戦略」。そのSession 2「ABM組織を立ち上げた現場の裏側」には、複数の企業でABM(アカウントベースドマーケティング:重点企業を絞り込み、部門横断で戦略的にアプローチする手法)組織の立ち上げに携わってきた、Gainsight株式会社 Strategic Account Executiveの弘中丈巳氏が登壇しました。モデレーターは株式会社Maroo 代表取締役社長の山梨寛弥が務めています。

大企業との取引をどう始め、どう広げるのか。戦略の考え方から組織設計、現場で起きる摩擦への向き合い方までを掘り下げます。

ABMの前提は、顧客に「Learning」と「Fun」を組織で届けること

山梨:このセッションのテーマは「ABM組織を立ち上げた現場の裏側」です。弘中さんはこれまで、さまざまな企業でABM組織の立ち上げに携わってきました。今日は、なかなか表に出てこない組織づくりの実際まで伺っていきます。

弘中:ABMで大事なことは、突き詰めると二つしかないと思っています。一つは「Learning」、つまりお客様に学びの機会を提供できているかです。

「今日、弘中という人と打ち合わせをしたけれど、製品の話はほとんどしなかった。でも何か学びがあったな」「この人から打ち合わせをしたいと言われたら、また時間を取ってもいいな」。お客様にそう思ってもらえる状態をつくるということです。

もう一つが「Fun」です。せっかく打ち合わせをするなら、楽しい方がいい。この人と話すと活気が出る、背中を押してもらえる。そう感じてもらえる時間にすることです。

ただ、これを営業担当者が1人で担おうとすると限界があります。組織としてお客様にLearningとFunを届けられるかどうか。これがABMを実践するうえで最も重要な心構えだと考えています。

弘中 丈巳氏 Gainsight株式会社 Strategic Account Executive

Salesforceでの営業経験を経て、2014年にMarketo(現Adobe)日本法人の立ち上げに参画。インサイドセールス、コマーシャルセールス、事業本部長などを経験した後、2019年に株式会社スマートドライブへ入社し、執行役員CROとしてマーケティングから営業、カスタマーサクセスまでを横断して事業成長を牽引。2022年東京証券取引所グロース市場に株式を上場。2024年よりGainsight株式会社に参画し、営業・マーケティング・カスタマーサクセスの変革を通じた顧客起点の成長支援に携わる。

山梨:お客様から「この会社、この人のためなら時間を取ってもいい」と思ってもらえる存在になれるか、ということですね。特にエンタープライズでは、それを経営層(CXO)に対してどう実現するかが難しい。この点も後ほど掘り下げていきます。

最初の契約は「小さく売る」のではなく、将来の取引規模から逆算する

山梨:まず、Land and Expandの考え方から教えていただけますか。

山梨 寛弥 株式会社Maroo 代表取締役社長

株式会社ZUUでマーケティングを経験した後、株式会社マルケト(現アドビ株式会社)、Braze株式会社などで、数百社の営業・マーケティング設計やセールスエンゲージメントの支援に従事。2021年に株式会社Marooを設立し、営業・マーケティング組織の改革支援を展開。インサイドセールスの戦略設計から実行支援、組織づくりまでを一気通貫で支援している。


弘中:大きなお客様に最初から大きな提案を持っていくと、どうしても時間がかかります。1年間追いかけても、最後に受注できるかわからない。これは事業としてもリスクがありますよね。

そこで、まず「最終的にこの規模の取引にしたい」というゴールを描きます。これは裏を返せば、提案を通じてお客様が成功し、それだけ大きなリターンを得られる状態ということです。そこから逆算して「最初の着地点をどこにするか」を決め、初期の契約を結ぶ。これがLandです。

あるお客様とは、最終的に年間数億円規模の契約まで拡大しました。ただ、最初からSaaSを大きく売ったわけではありません。スタートは1,500万円ほどの業務委託契約で、そのお客様の顧客に、僕たちが直接ヒアリングに行きました。

そうすると、ある意味ではお客様以上に「その先の顧客」を知っている状態をつくれます。そこで得た情報をもとに別の部門へ提案を広げ、最終的に大きな契約につなげていきました。

山梨:Landはできたものの、そこから取引が広がらない会社もあります。逆に、最初から理想的な大型契約を求めすぎて2年、3年とかかり、短期的な収支(PL)が合わなくなるケースもありますよね。

つまり、「小さく売ること」自体が目的ではない。将来どこまで広げるかから逆算して、最初の着地点を決めることが重要だということですね。

ABMは「営業戦略」ではなく、売上全体から資源配分を決める「ビジネス戦略」

山梨:弘中さんは、Land and Expandを「営業戦略ではなく、ビジネス戦略である」と位置づけています。これはどういう意味でしょうか。

弘中:さまざまな施策や戦術を打つのは、最終的には事業全体を成長させるためです。例えば売上目標が1億円なら、100万円の契約を100社と結んでもいいし、1億円の契約を1社と結んでもいい。手段はどちらでも構わないんです。

ただ、ABMの対象となるお客様は検討期間が長く、案件規模も大きい。受注時期が後ろにずれたとき、ABMだけに頼っていると挽回が効きません。

例えば「この大型のエンタープライズ案件はずれ込みそうだ」となれば、CROが中堅企業向け(ミッドマーケット)にリソースを寄せて数字をつくりにいく。逆にエンタープライズが順調なら、同じく成果が出るまで時間のかかるパートナー育成に、今のうちにリソースを振っておく。そうした判断ができるんです。

(「ABMは一部署の営業施策ではなく、事業全体の成長を見据え、部門横断で経営資源を配分するビジネス戦略」と語る弘中氏)

山梨:短期的に数字を積み上げる事業と、時間をかけて大きな数字を取りにいくABMとでは、そもそも計画の立て方が違いますよね。だからABMを一部署の施策として扱うのではなく、全社として「どこに経営資源を配分するか」を決める。それが経営層の役割になるということですね。

弘中:そうですね。例えば、お客様から「この機能をつくってくれたら5,000万円払う」と言われたとします。担当営業からすれば、ぜひ受けたい話です。

でもプロダクト側から見ると、他社には展開できない個別仕様かもしれない。その場合、5,000万円を取りにいくのか、将来のプロダクト戦略を優先して断るのかを決めなければいけません。

これは営業だけでは決められません。マーケティング、営業、CS、プロダクトを横断して、どこにリソースを配分するかを判断する必要があります。

FS・CS・AMは「ぶつかる前提」で組織をつくる

山梨:Land and Expandを実行する組織は、どのような役割で構成されるのでしょうか。

弘中:大きく三つの役割があります。まずフィールドセールス(FS)が、新規のお客様との契約を取ります。次にカスタマーサクセス(CS)が、プロダクトを使ってもらうだけでなく、「使ったことでどんな成果が出たのか」まで伴走します。

そして成果が出たら、アカウントマネージャー(AM)が「この事業部で成果が出たので、大阪拠点でもやりませんか」「こういう別の商品もあります」と、取引を横に広げていきます。

山梨:ただ、この三つの役割の間では、売上の食い合い、いわゆるカニバリゼーションが起きやすいですよね。例えばFSは、新規契約の金額をできるだけ大きくしたい。一方でAMからすると、まず適切な規模でLandしてもらい、その後に広げる余地が残っていた方がいい。こうした利害がぶつかることはありませんか。

弘中:どれだけ工夫しても、組織の摩擦やカニバリゼーションは100%起きる、というのが私の持論です。だから、みんなで健全にぶつかり合いましょう、という話なんです(笑)。

CSはFSに「その売り方では成果が出しにくい」と言いますし、AMはCSに「もっと成果を出してもらわないと広げられない」と言う。これは必ず起きます。

起きることを前提にすれば、やるべきは「部門間でやり取りされる情報の量をどう増やすか」の設計です。そうすれば、摩擦は健全なものになります。CSがFSのKPIを知っている、FSもCSの仕事の大変さを知っている。そうした相互理解が欠かせません。

山梨:弘中さんは実際に、メンバーを別の職種へ異動させることもあったそうですね。

弘中:はい。「相互理解を深めよう」と口で言うだけでは伝わらない部分があります。そこで、各部門の動きを肌で理解してもらうために複数のロールを経験してもらい、ビジネス職のメンバーには将来CROを目指してもらう取り組みをしていました。そうすると、部門同士がぶつかったときに、どこに手を入れればいいかがわかるようになる。だからこそ、かなり大胆に職種を越えてもらうこともありました。

山梨:戦略的なジョブローテーションで、他部門の業務への理解を深めるわけですね。では、この三つの部門を束ねるのは誰の役割になるのでしょうか。

弘中:CROやCOOだと思います。各部門に責任者がいるのは構いませんが、最終的に「この人が決める」という存在は必要です。

CXOに会いたいなら、自社製品の話から離れる

山梨:AMに求められる役割の中でも、CXOとの関係構築は特に難易度が高いと思います。ここはどう考えればいいでしょうか。

(「自社製品との接点を探すだけでなく、CXOの幅広い興味関心を捉え、相手にとって価値のある情報を届けることが重要」と議論を深める山梨)

弘中:陥りがちなのが、CXOの興味関心と自社製品で解決できることの「重なり」を一生懸命探すことです。

でもCXOの興味関心は、ものすごく幅広い。その中で、自社製品が直接解決できるのはごく一部にすぎません。

その小さな重なりを探すよりも、製品では解決できないけれどCXOが関心を持っている領域について、自分たちが知見を蓄える方がいい。そのうえで対話を重ね、相手の関心を少しずつ製品の領域に近づけていくんです。「この人、製品とは全然関係ないけれど、自分の知りたいことを教えてくれるな」と思ってもらえた方が、関係はつくりやすくなります。

山梨:IR資料を読み込み、自社製品と結びつくキーワードを拾って提案ストーリーを組み立てる。これは営業の定石になっていますよね。

ただ、そこから一歩踏み出して、CXOの興味関心そのものを広く捉える。自社製品と直接つながらないテーマでも、相手にとって価値のある情報を届けることが、関係構築の近道になるということですね。

営業全員に専門性を求めず、「学びを提供する人」をつくる

弘中:営業組織の中に製品資料づくりばかりしている人がいるなら、思い切ってその仕事をやめてもらってもいいくらいだと思っています(笑)。

その代わりに、市場をリサーチしたり、業界がこれからどう動くのかを調べたりしてもらう。例えば「AI×人事」や「AI×バックオフィス」といったテーマで、徹底的に専門家になってもらうんです。

営業は見積もりもつくらなければいけないし、案件対応もあります。業務の未来像まで調べ尽くす時間は、なかなか取れません。だったらその部分は切り離して、営業と一緒に動くエバンジェリストを一人育てればいい。

山梨:営業個人の能力に頼るのではなく、冒頭の「Learning」を会社として届ける役割を持つということですね。

弘中:そうです。その人にイベントで登壇してもらったり、さまざまな企業で講演してもらったりして、会社として育てていきます。

「当社にはこういう専門家がいて、最近このテーマを深く研究しています。製品のご提案ではなく情報交換の場として、一度話を聞いてみませんか」と言えれば、CXOとの接点もつくりやすくなります。

山梨:私自身も、X(旧Twitter)経由でエンタープライズ企業の方から「社内で勉強会をやってほしい」とDMをいただくことがあります。

一つの領域について理解を深め、発信を続けること自体が、顧客との新しい接点になる。ABMでは、「専門性をつくる」ことも重要になりそうですね。

そもそも、そのプロダクトは「小さく始められる」のか

山梨:最初の契約を小さくすれば、受注はしやすくなります。ただ、「無償でもいいので導入してください」というレベルまで小さくすると、その後なかなか広がりません。一方で、最初から数千万円、1億円を狙って2年、3年と関係構築を続けると、今度は自社の投資が持たなくなる。このバランスの中で、最初の取引はどう考えればよいのでしょうか。

弘中:その前に、そもそも自社のプロダクトが「Landできるものなのか」を考えた方がいいです。

全社で使わないと成果が出ないプロダクトを「まず一部門で試しましょう」と提案するのは、Landではありません。一部門では成果が出ないので、次に広げる根拠も生まれないからです。逆に、一部門で成果が出て、その成功を他部署へ横展開できるプロダクトであれば、Land and Expandと相性がいいといえます。

(当日の会場では、最初の導入をどこから始め、将来の全社展開へどうつなげるか。Land and Expandの具体的な設計について議論が交わされた)

山梨:では、全社導入型のプロダクトでは、Land and Expandはできないのでしょうか。

弘中:その場合は、最初に「最終的には全社に展開する」という全体像を、お客様と合意しておきます。

そのうえで、「一度に導入するのは難しいので、まず地方拠点から始めましょう。そこで成果が出たら全国に展開します」と進める。これならLandになります。

山梨:つまり、「下から積み上げていけば、いつか全社に広がる」という考え方ではない。最初に上から全体像を描き、その第一歩をどこにするかを決めるということですね。

弘中:そうですね。第一歩の切り口は、エリアのこともあれば、機能のこともあります。あるいは、利用人数は最初から全社にして、初年度だけ価格を抑え、成果が出たら次年度から通常価格にするという方法もあります。

最初に入る場所は「入りやすさ」ではなく「広がりやすさ」で決める

山梨:そう考えると、Land and Expandには相性のいい商材と、そうでない商材がありそうですね。

例えばプロフェッショナルサービスなら、最初は勉強会から入り、コンサルティング、さらにBPO(業務の外部委託)へと広げていく。その部署で成果が出れば、別の部署から「うちでもやってほしい」と声がかかることもあります。こうしたサービスは、Land and Expandと相性がいいのでしょうか。

弘中:そうですね。部門単位の導入でも成果を検証できるものは、相性がいいです。

例えばマーケティング領域のソリューションなら、一つの部署で導入して成果が出れば、「こちらの部署でもやりましょう」と展開しやすくなります。

もう一つ重要なのが、お客様の組織の中で「誰を起点にすれば広がるか」です。ある会社では、地方拠点に社内でもトップクラスの成果を上げている営業の方がいました。その人が使い始めると、ほかの営業の方も「あの人が使っているなら」と、自然に利用が広がっていくんです。

そうした影響力のある人がいるなら、その人をLandの起点にすればいい。

山梨:単に「どの部署なら入りやすいか」ではなく、「そこから社内に広がる道筋があるか」で最初の入り口を決めるわけですね。

AI時代こそ、顧客の「一次情報」を取りに行く

山梨:AIの活用が進む中で、ABMのアプローチはどう変わっていくとお考えですか。

弘中:公開情報であれば、すでにAIでかなりの部分を調べられるようになっています。だからこそ、AIが持っていない一次情報を取りに行くことが、これまで以上に重要になると思います。

例えば、本社の方は本社のことをよくご存じです。ただ、各拠点の現場で日々何が起きているかまで細かく把握するのは、なかなか難しいものです。

そこで実際に現場へ足を運び、「本社ではこの方針を進めていますが、広島支社では実際にこういう状況です」という情報をつかんでくる。それを持って改めて経営層に会いに行けば、公開情報をまとめただけの話とは、価値がまったく違ってきます。

山梨:冒頭でお話しいただいた「お客様の顧客に直接ヒアリングに行く」取り組みにも通じますね。足を運んで得た一次情報こそが、経営層に「この人には時間を取ってもいい」と思ってもらえる価値になるということですね。

(「AIで公開情報を得られる時代だからこそ、顧客の現場に足を運び、AIにはない一次情報をつかむことが重要」と語る弘中氏)

イベントまとめ:ABMは「最初に売る場所」ではなく、「その先にどう広げるか」から設計する

大企業との取引では、最初の契約を取ること自体はゴールではありません。重要なのは、その取引を起点に、どの部署へ、どの拠点へ、どのサービスへ広げていくのかまで見据えて設計することです。そのためには、自社のプロダクトが部門単位で成果を出せるのかを見極めたうえで、「入りやすさ」ではなく「広がりやすさ」で最初の入り口を選ぶ必要があります。

これは営業部門だけで実現できるものではありません。フィールドセールス、カスタマーサクセス、アカウントマネージャーの間では、摩擦が必ず起きます。それを前提に部門間の相互理解を深めつつ、マーケティングやプロダクトも含めて、経営として資源の配分を判断する。その最終的な意思決定を担う責任者を置くことも欠かせません。

顧客との関係づくりでも同じことがいえます。CXOに対しては、自社製品の話にこだわるのではなく、「この人と話すと学びがある」と思ってもらえる関係を、個人ではなく組織としてつくることが重要です。また、AIで公開情報を簡単に得られるようになったからこそ、顧客の現場に足を運んで得る一次情報の価値が高まっています。

Land and Expandは、単に「小さく入って大きく売る」ための営業手法ではありません。最終的にどこまで顧客との取引を広げたいのかを描き、そこから逆算して、最初の契約、顧客との関係、役割分担、経営資源の配分までを設計する、事業全体の戦略です。

ABM組織を立ち上げるうえでは、「どこなら入りやすいか」ではなく、「どこからなら、その先に広げられるか」という視点が重要になるのではないでしょうか。

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